生きづらさの取扱説明書

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発達障害はなぜ増加している?その背景を当事者が考えてみた

こんにちは、結城ぱいんです。

はじめましての方は、ごあいさつもぜひ覗いてください。

 

前、ADHDアスペルガーを診断された時の話を書きました。

 

yuukipine-lifelog.hatenablog.com

 

それ以来、人に「実は私は発達障害で…」と打ち明けることがあるのですが、ちょっと気になるのが「最近増えてるしね〜」という反応

もちろんその人に悪気はないですし、発達障害と診断されている人の数が年々増えているのは事実みたいですね。

 

でも、私は当事者として、発達障害者の増加について議論したり、その原因を探ったりしても無意味だと思っています。

 

今回は、そのことについてお話ししていきます。

 

そもそも発達障害者は本当に増加しているのか

 

まず、私の中で「発達障害者は本当に増加しているのか」という疑問があります。

 

発達障害うつ病などの他の精神疾患と違い、後天的に発症するものではないはずです。

そのため、診断されている人が増加しているからといって、必ずしも発達障害の人自体が増加しているとは言い切れないと思うんですね。

 

昔は発達障害だと分からなかっただけで、今の時代に生きていたら診断基準を満たしているような人は、いくらでもいるのではないでしょうか。

 

発達障害者増加の背景には何があるのだろう

 

このような理由から、私は「何かしらの原因(ストレス・生育環境など)で発達障害者が増えている」という考えは少し疑っています。

そのため、発達障害者が増加している原因を探ろうとする話を見ると複雑な気持ちになるのですが、数字としては確かに増えているのでしょう。

 

じゃあ、発達障害者が増加しているのはなぜだろう?と考えると、その背景には社会の様々な変化があるように感じます

 

発達障害に関する知見の深まり

 

まず、発達障害に関する知見が深まったことがひとつの背景として挙げられると思います。

 

よく「発達障害者なんて昔はただの変わった人だった」とか言われたりしますが、発達障害についての研究が進んでいなかった頃は、実際そうだったのかもしれません。

最近は「脳の機能障害」だと分かりつつありますが、外見では区別できないし、精神疾患ともやや違いますからね。

知見が深まって、発達障害が診断できるようになったことで、初めて人数が数えられるようになったのではないでしょうか。

 

診断基準がなかった頃は、発達障害者なんて0人だったに決まっています。

 

発達障害が一般的に知れ渡った

 

また、発達障害が一般的に知れ渡るようになってきたことも背景にあるかもしれません。

メディアで取り上げられるようになったため、多くの人が発達障害について知っていると思います。

そうすると、「自分は/うちの子は/会社の部下は、発達障害じゃないか?」と気がつく人も当然増えてきているでしょう。

 

これまでだったら「ちょっと変わっているかも」程度で精神科に行かなかったような人が、発達障害を疑って積極的に受診するようになったことにより、診断される人も増えているのかもしれません。

 

発達障害者が生きづらい社会の仕組み

 

最後に、発達障害者が生きづらい社会の仕組みも、背景のひとつではないでしょうか。

私がそう思うのは、「障害の社会モデル」という考え方を知ったからです。

 

「障害=バリア」は、社会(モノ、環境、人的環境等) と心身機能の障害があいまってつくりだされているものであることを、『障害の社会モデル』といいます。

 ※「障害の社会モデル」に対して、障害は個人の心身機能の障害によるものであるという考えを「医学モデル」といいます。

内閣官房 政策会議

 

例えば、私は視力が非常に悪く、両目合わせても0.03です。

裸眼ではまともな生活なんて送れませんが、だからといって別に身体障害があるというわけでもありません。

それは、眼鏡やコンタクトレンズが手に入る社会だからです。

 

このように、心身の機能に問題があっても、社会がそれに対応していれば生活に困ることはないのです。

しかし、小中高と進学し、大学に通うのも当たり前で、卒業後は企業に就職するという「型にはめられた」生き方を理想とする現代社会は、発達障害者にとっては生きづらいものではないでしょうか。

 

学校に行くのが自由で、いろいろな働き方があった昔の時代の方が発達障害者には生きやすく、それゆえに障害者として扱われることもなかったのかもしれません。

 

発達障害の原因を探るのは無意味だし悪影響では?

 

発達障害について、たまに「高齢出産が原因だ」「親の育てかたの問題だ」「甘えている若者が増えたからだ」みたいな意見を目にします。

でも、当事者としてはこういう原因探しは無意味だし、むしろ悪影響だとすら思います。

根拠もはっきりしませんし、生まれ持った障害について、当事者や親を責めるような話は悲しくなってしまいます

 

それに、「原因」という言い方が何となく嫌だなとも思います。

交通事故の原因、犯罪の原因…これって、悪いものを減らすための言葉ですよね。

 

もちろん、発達障害があると本人も周りの人も苦労するのは事実ですが、発達障害者が減ればいいんだ」というような考え方があるようで何となく傷つきます

 

私の考えすぎでしょうか…?

 

発達障害者の増加を問題視するより大事なこと

 

発達障害の原因を見つけて減らしていこうとする取り組みより、誰もが生きやすい社会になっていくことを私は望んでいます。

苦手ことへのフォローを気軽に頼むことができて、特性を活かせる社会って、発達障害者に限らず普通の人にとっても生きやすいのではないでしょうか。

誰だって、得意なことと不得意なことがありますからね。

 

それに、そもそも発達障害者は、意識して減らすべきものなのでしょうか。

「社会を変えて!」という主張だけでは何も変わりませんが「こういう配慮があると私はこのように活躍できる。他の人にもこんなメリットがある」というように、理解してもらえるように動いていきたいところです。

 

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